「セックスする」と「恋をする」は、違う?
まず前提として「セックスをする」という行為と、「恋をする」という行為。
哲学的なアレとかソレを抜きにして、めっちゃ単純に考えれば全然違う意味ですよね。
だって言葉の意味が違うんだから、そりゃそうだ。
だけど一般的な"恋をする"って、恋愛感情の延長線上に必ず性欲があって、それが一番美しいものだとするじゃないですか。逆にそれがなくなれば、「セックスレスだ」とか「もう愛されていないんじゃないか」とか、恋愛感情もなくなったように感じてしまうみたいな。
こう見ると、性欲と恋愛感情ってなんとなく繋がっているような気がしなくもないですよね。
うーん、改めて考えてみるとけっこう難しいですね。
性欲と恋愛感情って、必ずしも結びつくものなのでしょうか。
今回はこれをテーマに私が思ったことを書いていこうかと思います。
■性欲と恋愛について、どう考えるか
このテーマで記事をかこうと決めて、色々な書籍やコラムなどを読んでいると結局、性欲と恋愛感情の結びつきがあるかないかの認識は『人それぞれ』なんだと分かりました。
でもまあ、多くの人は"性欲"というものと"恋愛"というもの、それぞれをどのように考えているのかによって、お互いが結びつくかどうかを決めているようで、これは自分もそうであるから納得できる仮説です。
育ってきた環境や、見聞きしたものによって価値観が決まるわけですから、性欲と恋愛なんてぼんやりしたものなんかは特に人によって考えかたが違うのは当たり前だと思います。
■性欲と恋愛感情の関係性は、移りゆくもの
本題に戻ります。
先ほど「性欲と恋愛感情の関係性はそれぞれをどのように捉えているかによって決まる」と言いましたが、この捉え方というのは、時期によって無意識のうちに変わっていくものだと思うんです。
これは性欲と恋愛について考えた時に私が出した一つの仮説というか持論なので、正しいも間違っているもないのですが、よかったら聞いてください。
まず、本能から生じる性欲=恋愛感情と認識するのが初期段階。
この段階では、そもそも自分の好きという感情に無自覚であるケースが多いです。行動なんかもすごく衝動的で、理性が効かない。まさにLove is blind.(恋は盲目)みたいな状態がこれに当たるのかなと思います。
よく少女漫画なんかでも「え…まさか、私コイツのこと…?(トゥンク)」みたいな描写あるじゃないですか。それそれ。
この時期はもう、相手に対して無意識に性的な魅力を感じていて、まさに性欲と恋愛感情がほぼごっちゃになってしまっている状況と言えます。
次に中期ですが、ここでは自然な流れとしてお互いが好きであるという事実を自覚し、「付き合う」という関係性になったと仮定します。
「付き合う」という状態は、堅い言葉で言えば一種の契約であって、「お互いが相手に対する恋愛感情を自覚した上で、彼氏彼女としての形式を採る」ということになります。
この状態になると、それぞれのポジションにカレシ、カノジョという名前がつきます。
例えば、会社で「あなたは明日からプロジェクトリーダーです」って言われたりとか「エグゼクティブマネージャーの〇〇です」と自己紹介したりとかしますよね。
そうやって人は役割を与えられると、その役目を果たそうと努力するようになるじゃないですか。その役目として生きる、自覚が湧いてくるんですよね。
つまり、ここでの性欲って初期段階と違って結構自覚しているものというか、「好きだからセックスする」という恋愛感情メインのものになっているということです。
付き合いたてが最高に幸せなのは、セックスをすることが最大の愛情表現であると確信できるからなんでしょうね。
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■性欲も恋愛感情も、最後は形式にとらわれてしまう
最後に、恋愛後期。ここまでの期間は人それぞれだと思いますが、何れにせよほとんどのカップルがこの時期を迎えるのではないかと思います。
ひとつ言っておくならば、後期だからといってもう潮時だとか、別れる寸前とかマンネリとか、そういうことではないです。
おつきあいを始めて数ヶ月、数年経つとやはり性欲も恋愛感情もボルテージが落ち着いてきます。仕事とか趣味とかもそうですけど、一番盛り上がる瞬間があるものって当たり前に落ちる時期もあるじゃないですか。だからそれは自然なことだと思うんです。
お互いがお互いの愛され役であることに慣れてくると、感情や性欲がだんだん形式にとらわれていく。
「彼氏なのに、彼女なのになんで〜〜してくれないの?」
「付き合っているから、セックスしないと」
こうしてはっきり自覚はなくとも、相手のためにする行動が恋愛初期の衝動的なものではなく、義務感が伴うものに変化していきます。
この義務感から生まれるセックスが一概に悪いわけではないんですよ。セックスしなきゃ、と思って抱くってことは、少しでも相手のことを思いやっているということだと思うから。
ですがやはり恋愛初期の頃の性欲と比べると、本能からブワッと湧き出てくるものではない自覚された性欲なのは間違いないので刺激的かと言われればそうではないのです。
他から強制されたことって、なんとなくやる気起きないですよね。中学生の頃、「勉強しなさい!」ってお母さんに言われるとやる気なくなる…みたいな感じで。
そうやってなんやかんやで、性欲が自分の恋愛感情から湧き上がるものではなくなってしまうためにセックスレスになってしまうのではないでしょうか。
■なぜ、性欲と恋愛感情がごっちゃになってしまうのか
歩道橋を好きな人と歩きたくなるドラマ第一位でおなじみ、『東京ラブストーリー』の原作者である柴門ふみさんも、「性欲とは、性行為だけじゃなく自分の中の内面を刺激して快楽、気持ちよさ、高揚感、ときめきをもたらしてくれるもの。」と言っています。
セックスをするということは、肉体を介して相手と通じ合うということ。
快楽だけを得るのではなくて、そのさきに心から通じ合うという経験をするからこそ、人は性欲と恋愛を一緒くたにしてしまうのです。
結局、体を交えるという行為は相手への愛情があってこそのもの。その根本が揺るがない限り、性欲と恋愛感情は少なからず結びついていると言えるでしょう。
「好きじゃない女とヤレる」だとか、「昨日飲んだ適当な男とヤっちゃった」とか、ふわっとした話はよくあると思いますが、実際それも相手に対して何かプラスの感情を持っていたのだと思いますよ。
だって、そういうのってよくよく話を聞くと「まあ生理的に無理じゃなかったし」「顔はイケメンだった」「ブスだけど相性がよかった」みたいな感じじゃないですか。
めちゃくちゃ嫌いな人間とはセックスできないと思うんで、大好き!とまではいかなくとも、ある程度「いいな」と思う要素がある相手に性欲は湧くんだと思います。
愛のないセックスは偽物?
肉体を介して通じ合った相手との間に、必ずしも愛はありますか?
このことについて考えると、そもそも愛の定義とは…みたいな哲学チックな話になってしまい朝を迎えてしまうので控えておきますが、
セックスをする2人同士の間に、愛はあったりなかったりする。が正解ではないでしょうか。
「いや、それ正解って言えねえよ」という意見はあって当然だと思います。
でも、精神と肉体は明らかに誰がみても切り離されているんだから、その前提を踏まえるとこんな答えが正解でもいいんじゃないかと。
それに、セックスと恋愛感情が結びついていると考えてしまうと傷つくことの方が多い。
人間って誰でも、自分の意思とは真反対の行動をしてしまうこととか、言葉を発してしまうこととかあるじゃないですか。
その時点で、必ずしも感情と行動が一致しないということは証明済みな訳です。
それがわかっているのにも関わらず、
「私のこと好きなら、こんなことするはずない」
「〇〇してくれないのは私を愛していないからなのかな」
なーんて、都合の悪い時にだけ感情と行動を一緒くたにしてしまうのです。
…何故なんだ!!!
私たちってバカで、純粋で単純で、めっちゃ愛おしいですよね。
この記事を読んだあなたが、次に上記のような気持ちに陥ってしまったときに、ふと
「ちょっと待って。精神と肉体は切り離されているよな?明らかに!」
と冷静になってくれますように。
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